金曜日, 2月 17, 2006

エッセイ(reprise)

暮らしの中で多くの人が記憶するということを無意識のうちに重要視していると思う。それは、そうだな。思い出であったり、出会った人のことであったり、ラッキーな出来事、良い映画、好きな曲の歌詞、1フレーズ、素晴らしいコーヒーの味・・・
記憶し、心に留めることによって気持ちを豊かにし、生活を潤わせていくような感じ。別にこれは真理ではないと思うけど。
だったら忘却というものを重んじる人はいるだろうか?俺はこのことを(例え意味が無くとも)考えたい。時間の流れの中にいる自分の存在を、固定されない、まるっきりデラシネのような実体として捉えるということになるだろうか?んー植物人間のようだ、とふと思う。時間の緩やかな流れにすら、分解されて融けてしまいそうだな、その生き方は。
忘却することに体をあずける、そんなことをする人なんて絶対にいないとしても。俺は一応考えてみる。そんな感じ。夜。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

でもね、月並みなことを言ってみるけど、忘却という機能がなくても人間は簡単に狂ってしまうと思うのよ。
てか日々を生き延びていくのがとってもしんどくなるね。

大人になるって、忘却機能をうまいこと自分である程度(あくまである程度)コントロールしよう(あくまで「しよう」)とするようになることなんじゃないかしらんと思うここ数年です。

脳細胞だかなんだか自体は、お腹の中にいたころのことまで覚えてるってよく言うしねぇ。

ところで虫とかはどういう感覚で生きてるんだろね。
個体としてではなく群れとして感情や感覚を持っているのではないか、なんて研究結果が最近出たらしいね。
それもそれでどういう感覚なんだろう。

なんとなくムーピーを思い出した。

匿名 さんのコメント...

あ、もっちゃんでした。