水曜日, 7月 23, 2008

無題

音楽とはどういうものか

色々な形があるともちろん思う ただ、自分にとっての、自分独りにとっての自分の音楽に対する考えは誰にも介入されないものだろう
それは実際大切にされてしかるべきだ きっとそうだ
なぜ音楽をやっているかは意外と簡単に答えが出る 音楽が好きで好きなことを自分でやってみるのは自然なことだから それもあるがそれだけじゃない 人に評価されたからとか、演奏していて気持ちがいいとか、曲を作ってそれが形となり人の耳に届き、そういうケミストリーにやりがいを感じるとか これらは俺自身の理由の断片であって、全てではないが全てだ でも、自身を表現する方法として身近に音楽があったから、というのが最もそれらしい動機であり、意義付けだろう

ただ普遍的な音楽の素晴らしさ(思い出となったり、人と人とを繋げることのできる媒体だったり、心を動かすバイブレーションを持ってたり)を感じることが出来て分かっているつもりでも、自分にとっての音楽となると改めて考えるのは難しい
俺が好んで選ぶ音楽は、それほど広くもないし深くもないと思う それは分かっているし、それでいいと思うのだけど
俺にとって大事なのは、きちんとした何か(ここが要だけど、難しい)を有する音楽しか必要ないというポリシーであり、アティティテュードなのかもしれない 音がきれいでメロディーが美しくてかっこよくて、、、だったらどこにでもそんな音楽は存在もするし作ることだって出来るはずだ 難しいことなんて何もない スタイルさえまとまってりゃいいんだから 数十年のうちに積み重ねられてきたポップミュージックのありきたりを抽出してまとめちゃえばスタイルだけの音は出来得る あとは技術か
でももしそれを作ったとしても、それはやはり必要ではない なぜならきっとそれは誰のための音楽でもなくて、本当は音楽ですらないかもしれないからだ
俺にとっての本当の音楽は、(うまく言うにはむずかしい)審美さと有機性と、それを作った人がそうでないと表現できなかった何かがきちんと表現されて込められているもの、それが曲がりなりにもでも全然構わない、でもそれが在って、自然と含まれた音楽 それ
マニアックであろうが大衆に全く認められてなかろうが、すごく売れていて誰もが知っていようが、時代遅れだろうが、今っぽすぎようがそんなことはどうでもいい 上述した様に、俺の重視したい基準がきちんとしてあればそれを選ぶ 選んで好んで聴く 世間にはそれほど浸透してないからレコメンドするとかクソだ 有名で業績も挙げてるから好まないなんてのもありえない
人々に受け入れられている音楽にだってそれ相応の理由がきちんとある絶対にある(売れてるのが全部そうだとは決して言わない) 間違えないでほしいのは、認めた人の数が多ければ多いほど良いとかそう言う問題じゃないってこと きちんと聴く耳を持った人にしか広く受け入れられてない音楽も当然あるだろう 要は、その音が響くところが重要だということだ どこでも響けば、というのとは違う
響く場所は思ったよりも小さい範囲かもしれない というのもそれが俺の音楽の聴き方だと思うから
全身で感動したりとか、エクササイズとしての音楽とか大きなスケールというものはさほど気にしてない 俺にとっては小さいけれど重い響き方をする音楽が必要で、普段気にしていることどこか引っかかっていることの一部をうまくひっかけていってくれたり、ささやかな感動を呼び起こしたり、そういう響き方こそが俺の心の範囲で鳴ってほしい音楽の在り方なんだと思う そういうのが最も重要なんだと
でもそれだけでいい訳じゃない 音に合わせて踊るのだって好きで、それだって音楽だし 自分一人じゃなくみんなで合唱して楽しいのだって立派に音楽だ ストーリーに組み込まれてたりしたって音楽だし、気にも留めないような効果音の様に一瞬の音楽もあり、作る側にはそれらも全て認める必要はあると感じている
自分自身にとっての音楽の一番大事な部分がそれだけだ、と言いたいだけだ

0 件のコメント: